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仙台地方裁判所 昭和58年(ワ)432号 判決

原告

渡辺正美

ほか一名

被告

鈴木康之

主文

被告は原告らに対し各金四九三万一六四〇円およびこれに対する昭和五六年三月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

原告らは「被告は原告らに対し各金一四六四万二九一五円およびこれに対する昭和五六年三月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のとおり述べた。

「一 渡辺正好は次の交通事故により死亡した。

1  日時 昭和五六年三月一日午前三時三〇分ころ

2  場所 仙台市中央一丁目一〇番一五号先路上

3  加害車 普通乗用自動車(宮五七に七三五九)

右運転者 被告

4  態様

被告は加害車を運転し、仙台市中央一丁目七番一八号付近交差点において信号待ちをしていたところ、正好が「友人の車が少し前、お前の車に接触された。」と言いながら加害車の窓にすがりついてきたため、正好を振り落とそうとして自動車を急発進させ、蛇行運転をして正好を路上に振り落とし、同人に対し脳挫傷、硬膜下血腫の傷害を負わせ、その結果同月一〇日死亡させた。

二 原告らは次の損害を受けた。

1  治療費 八九万二三五〇円

正好は昭和五六年三月一日から同月一〇日までの間国立仙台病院に入院し治療を受けた。

2  入院雑費 一万円(一日一〇〇〇円)

3  付添看護費用 四万円

右入院期間中家族が正好に付き添つた(一日四〇〇〇円)。

4  葬祭費 一〇〇万円

5  逸失利益

正好は事故当時有限会社マルアイに勤務し、年二八〇万円の収入を得ていた。これに対し生活費として五〇パーセントを控除し、四七年のホフマン係数二三・八三二を乗ずると、三三三六万四八〇〇円となる。

6  原告らは正好の父母である。正好の死亡により同人の損害賠償請求権の二分の一の一七六五万三五七五円ずつを相続したが、原告らは自動車損害賠償責任保険による保険金二一〇二万一三二〇円を受領したから、これを差し引くと、被告に請求しうべき金額は各七一四万二九一五円となる。

7  原告らの慰藉料

正好は原告らの一人息子であり、将来有望な青年であつた。原告らは同人の死亡により甚大な精神的苦痛を受けた。右苦痛を金銭をもつて償うためには原告らにおいて各七五〇万円の支払を受けるのが相当である。

三 よつて、原告らは被告に対して各一四六四万二九一五円およびこれに対する昭和五六年三月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

被告は「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁および抗弁として次のとおり述べた。

「一 請求原因の第一項のうち、原告ら主張の日時場所において被告が加害車を運転したこと、渡辺正好が原告ら主張の日時場所において傷害を受け、死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。第二項のうち、正好が原告らの一人息子であること、原告らが自賠責保険から二一〇二万一三二〇円を受領したことは認めるが、その余の事実は不知。

二 被告は小畠泰子を同乗させて加害車(ラムダ)を運転し、名掛丁交差点にさしかかつたところ、おりから佐藤武広の運転するセレステ(相沢利樹、真壁博志が同乗)、正好の運転するセドリツク(千種俊浩、木村武志が同乗)、紺野真の運転するオースターが被告のラムダをつかまえるべく、名掛丁交差点にくるのを待ちうけていて、ラムダを停車させ逃げられないようにすべく、紺野のオースターがラムダの右側から右斜め前方に割り込んできて停止し、佐藤のセレステがラムダの右側方に停止し、正好のセドリツクがラムダの後ろに停止した。そして相沢と正好が車から降りてラムダの運転席間近に行き、相沢が被告に向かつて「止まれ」「開けろ」と怒鳴りながら運転席ドアの窓ガラスを手やメガネレンチで数回叩いたのに続き、正好が被告に向かつて「止まれ」「開けろ」等と怒声をもつて運転席ドアの窓ガラスやドアを手や足で数回強く殴りつけた。次に相沢はメガネレンチでラムダのトランクやリヤウインドーを力一杯十数回殴りつけた。

被告はこれらの行為の理由がわからず、恐怖心におそわれ、他の仲間もくるような気配もあつたことから、このままでは自分に危険が及ぶばかりでなく、助手席の小畠が連れ去られたり暴行を受けたりするのではないかと思い、車を徐行させた。これをみるや、相沢は車を追いかけながらラムダのトランクをメガネレンチで殴りつづけ、正好はラムダの運転席ドアの窓ガラスが約五センチメートル程度開いていたのに手をかけてラムダについてきたうえ、突然ボンネツト上に飛び乗つてはいつくばり、左手で運転席側フロントガラスのピラーをつかみ、左足を左前フエンダーミラーに掛けてふんばり、右手でラムダの屋根を殴打し、右足でフロントガラスを蹴りつけたりしたあと、つかんでいた手を離すと同時に足でボンネツトを蹴るようにして突然ラムダから飛び降りたものである。

本件事故は正好の自損事故である。被告に故意過失はない。

正好らの被告に対する攻撃はきわめて執拗で計画的であり、そのすさまじさは叩き殺されるのではないかと思わせるものであつた。深夜集団で三台もの車で被告の車をとりかこみ、逃げ道をふさいで、兇器を用いた突然の攻撃に被告はひどく狼狽し驚愕して停車しては大事に至るとの恐怖心にかられ逃げようとする一心で加速したものである。

三 被告がとつた行為は正好らの不法行為に対し自己および小畠の身体生命を守るためにしたやむことを得ざる行為であつた。被告の行為は正当防衛にあたるものである。

四 本件は正好が走行中の被告の車に飛び乗るという異常な行動にでたために発生したものであるから、応分の過失相殺は免れないものである。」

原告らは抗弁に対する答弁として次のとおり述べた。

「一 抗弁事実は否認する。

二 正好は、本件事故前に被告が故意に起こした佐藤武広運転のセレステとの接触事故に関し、謝罪を求めようとして、被告に対し自動車から降りるよう話しながら、被告のラムダの運転席窓の上部すき間に両手を差し入れ、窓ガラスの上縁を両手でつかんだところ、被告は正好を振りはらつて逃走しようと企て、ラムダを急発進させ、時速約三〇キロメートルで約五〇メートル直進し、正好は最初はラムダについて走つていたが、まもなく引きずられる状態になり(正好は被告が車を急発進させたため、窓から手を離すことができなかつたものである。)、運転席窓ガラスの上縁を両手でつかんだまま右足をボンネツトの上にあげるなどして身を守ろうとしたが、被告は正好を振り落とそうとして時速約五〇キロメートルに加速して更に約一五〇メートル走行し、その間蛇行運転をくりかえし、ラムダの右側を同一方向に進行していたタクシーにわざと正好の身体を打ちつけたりして路上に正好を振り落とし、その頭部等を路面に強打させたものである。時速約五〇キロメートルの速度の車からアスフアルト舗装の道路上に人を振り落としたときは死亡する蓋然性が高いことはいうまでもないことである。被告は正好を振り落とそうとして蛇行運転をし、タクシーに接近して車にしがみついている正好をタクシーに打ちつけたものである。

三 相沢がメガネレンチでラムダのトランクを叩いたのは、被告が発進したため、それを制止するためにしたものである。本件は正当防衛に該当するものではない。正好には何らの過失もない。」

証拠として、原告らは、甲第一ないし第九四号証(ただし、第二号証は一ないし四)を提出し、原告渡辺正美の本人尋問の結果を援用し、乙第一号証の成立は認める、と述べた。

被告は、乙第一号証を提出し、甲第四号証の成立は不知、その余の甲号各証の成立は認める、と述べた。

理由

一  渡辺正好が昭和五六年三月一日午前三時三〇分ころ脳挫傷、硬膜下血腫の傷害を受け、同月一〇日に死亡したこと、被告が当時加害車を運転していたことについては、当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第五号ないし第九四号証、乙第一号証によれば、次の事実が認められる。

1  被告は昭和五六年三月一日午前一時五〇分ころ普通乗用自動車(三菱エテルナ・ラムダ、スプリングを改造して車高を低くしてあるいわゆるシヤコタン車)の助手席に早川満、後部座席に小畠泰子、磯崎史子を乗せて仙台市内を走行し、交差点で信号待ちをした際、右側車線に佐藤武広が運転し、相沢利樹、真壁博志が乗つていた普通乗用自動車(ランサーセレステ)が信号待ちのため停車していたところから、被告は自車を佐藤車と並列にさせ、佐藤らに「お前らどこだ、おれは遊鬼会だ、三時に青葉山に来てくれ。」等と申し向けた。佐藤らは「元クレオパトラだ。」などと答えた。

2  右二台の車は東五番丁通りを競走するようにして北進したが、その際被告は自車を佐藤車に並走させて近づけ、その進路を妨害する幅寄せをし、自車の右側後部を佐藤車の左側前部に接触衝突させて、同車に擦過痕を生じさせ、そのまま逃走した。

3  佐藤らは被告車に接触衝突された後、渡辺正好、木村武志、千種俊浩、紺野真らと出会い、ラムダに当て逃げされた旨を話し、被告車が再度東五番丁通りを走行してくるかもしれないと予想し、発見次第これを停車させて、被告に謝罪と弁償を求めるべく、中央通りとの交差点付近に佐藤車(相沢、真壁が同乗)、紺野運転の自動車、正好運転の自動車(木村、千種が同乗)をそれぞれ停めて待機していた。

4  被告はその後も仙台市内を走り回つていたが、早川が磯崎と別の自動車に乗り移つてこれを運転することになり、被告は助手席に小畠を乗せて早川車の後に追従し、同日午前三時三〇分ころ東五番丁通りを南進して佐藤らが待機していた前記交差点にさしかかつた。

5  右交差点にはまず早川車が到着して、赤信号に従つて直進用三車線のうち進行方向に向かつて左から二番目の第二車線の先頭に停車し、つづいて被告車がその後ろに停車した。

6  佐藤らは被告車が南進してくるのを発見してそれぞれ車を発進させ、紺野車が早川車と被告車との間に右側から割り込むように停車し、佐藤車が被告車の右横やや後方に、正好車が被告車の直後にそれぞれ停車して、三台の車で被告の車をその右前方、右側、後方から取り囲んだ。

そして、被告の顔を確認した相沢が、佐藤車の工具箱から取り出したメガネレンチ一本を上衣の左袖の中に隠して降車し、被告車の運転席横の窓にかけ寄つて、左手で窓ガラスを強く叩きながら「開けろ」と怒鳴り、正好もかけ寄り相沢を押しのけるようにして、約五センチメートル開いていた被告車の窓ガラスの上縁をつかみ、窓ガラスや運転席の屋根などを手で叩きながら「お前だべ、ぶつつけたのは、おちろ。」等と怒鳴りつけた。

7  被告は、相沢および正好が接触事故を起こした相手方とその仲間であることに気付いてとつさにその場から逃走しようとして、正好が運転席横の窓ガラスをつかんでいるのを知りながら自車を発進させ、前方の早川車をよけて左側の第一車線に入り、そのまま加速して徐々に同車線から第二車線に斜行していつた。その際相沢は被告車を追つて走りながら手にしたメガネレンチで被告車の後部トランクの上部を十回位強く叩いた。正好は運転席横の窓ガラスを両手でつかんだまま、発進した被告車について約五メートル走り、被告車が時速約三〇キロメートルに加速するにつれて足を路面に引きずり、その後は膝を曲げて両足を路面から浮かせ、両手で窓ガラスにぶら下つた。

8  被告は正好が自車の運転席横の窓ガラスの上縁を両手でつかんでいるのを知りながらそのまま自車を発進させ、正好を引きずる等しながら東五番丁通りを時速約三〇キロメートルで約五〇メートル直進したうえ、正好がなおも窓ガラスに両手でしがみつき、振り落とされまいとして右足を前部ボンネツトに掛けるなどして自車から離れなかつたため、正好を振り落とそうと決意し、時速約五〇キロメートルに加速して約一五〇メートル疾走し、その間蛇行運転をくり返したり、進路の右側を同一方向に進行していたタクシーの左側後部フエンダー部分に自車の右側前部フエンダー部分およびタイヤ部分を接触させたりして、正好を振り落とし、その頭部等を路面に強打させた。

9  正好が転落した後、被告は時速約八〇ないし一〇〇キロメートルに急加速して逃走し、これを佐藤車が数キロメートルにわたつて追跡したが、振り切られてしまつた。

その結果正好は同月一〇日国立仙台病院において硬膜下出血、脳挫傷等の外傷性脳障害により死亡した。

10  被告は正好らに自己および小畠泰子の身体に危害が加えられるものと思い込み、その場から逃走しようとして本件行為に及んだものである。

11  そのため被告は昭和五九年三月二一日仙台高等裁判所で殺人罪により懲役四年に処せられ、自車から離れなかつた正好を振り落とそうとして時速約五〇キロメートルに加速して約一五〇メートル疾走し、その間蛇行運転をくり返したりして正好を振り落とした行為は殺人罪に該当するとし、これらの行為は自己および小畠の身体に対する急迫不正の侵害があるものと誤想し、これを防衛するためにした誤想過剰防衛にあたると判断された。

二  正好の死亡について被告に責任があることは明らかである。

被告の行為が正当防衛にあたることを肯認するに足りる事実は認められない。

三  そこで、原告らの損害について判断する。

1  成立に争いのない甲第二号証の一ないし三によれば、正好は国立仙台病院に入院し、治療費として八九万二三五〇円を要したことが認められる。

2  原告正美の供述によれば、原告らは右入院期間中正好に付添をしたことが認められる。右付添看護費用は三万円をもつて相当と認める。

3  正好の入院雑費は一万円をもつて相当と認める。

4  正好の葬儀費用は五〇万円をもつて相当と認める。

5  成立に争いのない甲第五三号証、第八三ないし第八五号証、原告正美の供述およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第四号証によれば、正好の事故当時の年間所得は二八〇万円であつたことが認められる。そこで、生活費として五〇パーセントを控除し、四七年間これと同程度の年間利益をあげることができたものと認められるから、中間利息を控除するため、年間純収入額に四七年のライプニツツ係数を乗ずると、正好の逸失利益は二五一七万三四〇〇円となる。

6  原告らが正好の父母でその相続人であることは被告の認めるところである。

7  原告正美の供述によれば、原告らは正好の死亡により甚大な精神的苦痛を蒙つたことが認められる。これに以上認定の本件にあらわれた諸般の事情を綜合すれば、これらの精神的苦痛を償うに足る金額は原告らにおいて各六〇〇万円をもつて相当と認める。

8  以上認定の本件事故の態様に照らしてみると、本件事故の発生については正好にも過失があつたものと認められる。同人の過失は二〇パーセントとするのが相当である。

9  原告らが自賠責保険から二一〇二万一三二〇円を受領したことは原告らの自認するところである。

10  したがつて、原告らは被告に対し本件事故による損害賠償として各四九三万一六四〇円の支払を求めることができるものである。

四  以上により、原告らの本訴請求は、右金員とこれに対する昭和五六年三月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 武田平次郎)

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